実施日 2016・11・19から11・22
参加者人数と歩数
19日 39名 33,350歩
20日 42名 38,426歩
21日 35名 38,966歩
22日 38名 37,174歩
1月19日
10時前には全員紀三井寺に集合。
本堂の法灯の御前で勤行。紀三井寺の御詠歌講の皆様に御詠歌を唱えていただき、前田副住職様を先頭に出立。
庫裡では、50数人分の弁当が信徒様の手で作られていた。
天気は100%雨の予報。リュックの一番上には雨具を詰め込む。
が・・・今のところ空はご機嫌の様子。
武内神社は八幡神社の奥に宿祢誕生井が祀られ、同行される31番長命寺武内副住職が当地と長命寺の深い関係を説明され紀州路の古い街並みを楽しむ。
高速道路の下を通過した時、トラックの大きな振動と思いきや前方から今のは地震と伝わってきた。和歌山県南部(まさに現在地)を震源とするM5.4とか。被害のない事を願う!!
昼食は紀伊国一宮の伊太祁曾神社で頂く。
紀三井寺信徒のみな様の心も籠った手作り弁当に、お茶、みかん等のお接待に体力、気力の充電もバッチリ。
高低差をほとんどない今日の行程ですが、平地の歩きは下が硬く足には厳しい。16時30分まで明日の分と1.5㎞余分に進む。
粉河寺門前の丸浅旅館の二台のバスで宿舎へ。
お陰さまで雨具を使うことなく、無事に初日の足慣らしを終了
11月20日
6時半粉河寺逸木管長にも加わっていただき記念写真。
いつものように昨日の地点までバスに分乗し戻される。
朝から天気も良く、気温もこの時期にしては異様(??)に高い。
道中、半袖になる人も数人。
11寺に粉河寺到着との約束もあり、JR粉河駅で珍しく大休止。
昨日は、前半ベースが上がらなかったので今日の為に予習をしたのに、今日は極めて順調。うまくいかないものです。
そのお蔭で、紀三井寺関係者やNPOメンバーも合流。
粉河寺門前で、兵庫県加古郡からの親子連れに出会う。身障者のお子さんと毎日曜日に各地の札所にお参りされているとか。
思わず、法灯を捧げて健やかな成長を願い全員で心経を。
中門をくぐるとき11時の時報。逸木管長を始め多くの報道陣や参詣者に迎えられ本堂へ。無事に法灯の引き継ぎを終え勤行。
逸木管長の挨拶、前田副住職が謝辞を述べ、森行事部長(当会理事長で葛井寺住職)、長命寺武内副住職がお礼の言葉。
第2回参加の32番観音正寺の岡村住職もお出迎え下さった。
境内の茶屋“阿古新”で蕎麦と柿の葉寿司の昼食。
12時半、今回の最大難所、桧原越えで施福寺への旅立ち。
このコースはトイレ探しに苦労するところですが、紀三井寺の関係で名手で『安養寺』にお願いしていただき助かった。
御本尊にお参りし暫し休憩。もったいなくもお接待まで頂戴した。
晩秋の山々を楽しむうちに予定の地点に到着。
夕暮れの大宮神社の紅葉に今一度記念撮影。
今日も丸浅旅館にお世話になります。バスで宿舎へ。
11月21日
今回の最大難所に向かいます。やや曇り空
平集落、福徳寺で休憩中に軽四輪で『峠の茶屋』西風さんが駈けつけて、名産の柿のお接待です。皆さん大ぶりの冬柿にニコニコ笑顔でリュックに。今晩のデザートがお楽しみ!!
喘ぎながら定福寺へ。柿の簾が待っていた。テレビなどでおなじみですが本物は初めて。勤行とトイレの後は銘々カメラでこの風景を記憶にとどめる。
さあ~七越峠と桧原越えです。鞍部までは予定の時刻。
ところが下りになると急に行列が停滞。松本先達の厳しい指示が最後尾まで伝わる。法螺貝に勇気づけられ、慎重にソロリソロリと行列が進む。お待たせしました。やっと施福寺に到着。
90分遅れです。津守住職や奥様、お寺関係者の出迎えで無事法灯を引き継ぎ。遅い昼弁当を慌ただしくいただきすぐ出発。
住職ら関係者に送られ河内長野を目指す。
滝谷ダムサイドで伴走車に合流。疲れの酷い人を宿へ搬送。
朝方の順調な足並みをみて、目的地を烏帽子形神社から宿舎の『河田長野荘』に変更し送迎を断っている。
日野バス停あたりから、小雨。16時と云うのにもう薄暗い。
烏帽子形神社から車も多く、懐中電池を取り出す。
当会では電池を使った歩行は初めてである。
高野街道を河内長野駅から宿舎へ。17時30分到着です。
河内長野荘では『観心寺永島』猊下がお迎えくださり、食前に“楠木正成”に関するお話を伺う。
さきほどお詣りした烏帽子形神社(楠木7城のひとつ)事も触れられ大いに勉強になる。
そんな中で、明日、早朝観心寺への朝詣りが決まり希望者を募り自由参加で6時30分出発と決まる。
11月22日
6時30分玄関に集まった23名。懐中電池を頼りに
観心寺を目指して歩く。雨上がり早朝気持ちのいいハイクです。
7時05分、山門に到着。受付に用意されたパンフレットを手に本堂に向かう。晩秋の佇まいは一服の清涼剤。
金堂内陣で若住職が厳粛に朝のお勤めをされている。
私達も勤行のあと森住職から弘法大師や役小角、楠木正成等観心寺との関わりを勉強し、その後広い境内を散策。
早朝の古刹は本当に心和むものです。“早起きは三文の利”朝食後8時30分、宿舎出立。
錦織神社は前回は工事中だったが今は見事な入母屋造り三間社の本殿が迎えてくれた。
富田林では古い街並みを楽しみ公園で豪華弁当を頂く。
道中当NPO会員の芝田さん宅でお接待を受ける。地元のお母さんたち10数名でお茶菓子のお接待。有難いことです。
お礼の勤行と法灯をご仏前に分灯した。
“中の太子”で有名な野中寺で読経と最後の休憩。
写経の会の方や信徒さんが合流された。
仲哀天皇陵から福祉施設の“賀交会”へ。体の不自由な人たちが引き継がれてきた法灯や幟を持ち、感激されこちらも感動。
こんな風景が法灯リレーのあり方かと思った。
葛井寺では写経の会の人たちや一般の参詣者も驚くほど多くのひとたちが拍手で迎えて下さった。
本堂での法灯引き継ぎは、施福寺さまが都合で参加できなかったので、参加者最高齢(81歳)の土谷さんから森住職に国宝の観音様の御前で引き継がれた。
式典後、紫雲閣で茶菓のお接待を受けカレンダーや賀交会で作られている土鈴などを頂き解散。
道中多くの方たちのお心づかいで無事ここまでまいりました。
心よりお礼申し上げます。
法灯は来春まで葛井寺本堂で守り続けられ、3月11日に次の札所壺阪寺に向かって出発の予定です。